サウジアラビア

【体験的長編エッセイ】旅する鍼灸師が語る|サウジで出会った巡礼者との対話と身体の整え

2026年1月20日

1. 「治療する旅」から「対話する旅」へ

私は鍼灸師として旅をしている。
人を治すために、世界を巡っている──つもりだった。

けれど、サウジアラビアでのある出会いが、私のその思いをまるごとひっくり返してくれた。
「治す」という言葉の裏にあった、自分の傲慢さと向き合うことになるとは思ってもみなかった。

この国で私は、身体の整えとは「対話」だと気づいた。


2. 出会い|巡礼者アブドゥッラーとの沈黙

それは、マディーナのモスク前広場だった。
夕暮れの祈りの後、私はモスクの外で静かに座っていた。
ふと隣に、ひとりの年配男性が腰を下ろした。

彼は何も言わず、ただ私の足元をちらりと見て──微笑んだ。

私はとっさに「アッサラーム・アライクム」と挨拶をした。
彼も同じように応じ、
それから、20分近く、私たちは何も話さずに座っていた。


3. 初めての身体への問い

やがて彼がポツリと聞いてきた。

「あなた、鍼をするのか?」

私は驚いた。何も話していないのに──
「Yes, I’m an acupuncturist.」と答えると、彼は静かに左肩を押さえて言った。

「メッカを歩いた後から、ここがずっと痛む。」


4. 私は治療をしなかった

ベンチの上、彼の肩に手を置いてみた。
熱も腫れもない。けれど、流れが止まっている。

日本でなら、脈を診て、経絡を読み、ツボを選び、鍼を打つ。
けれどここはマディーナ。
モスクの前。しかも彼は巡礼中の男。
私は一切、鍼も押圧もしなかった。

ただ、彼の呼吸に合わせて、私の手を置いていた


5. 沈黙の中で身体が整っていく

やがて彼の肩がゆっくりと下がり、胸が開き、呼吸が深くなっていくのが伝わってきた。

私はその時、鍼灸とは「手」でも「針」でもない。
観ることこそが治療なのだと確信した。

彼は最後に一言だけこう言った。

「私の祈りは、あなたに届いていたようだ。」


6. 治療ではなく対話としての東洋医学

6-1. 治療家の傲慢と、旅人の謙虚

これまで私は「治す」「改善させる」「効かせる」ことばかり考えていた。
でも、アブドゥッラーとの出会いで分かった。

治療とは、相手の祈りを受け取る場でもある。

治療家である前に、人間であれ。
旅人である前に、聴く者であれ。
その姿勢がなければ、手技はただの技術に過ぎない。


6-2. 経絡は「他者との接点」

東洋医学で言う「経絡」とは、単なる気血の流れではない。
それは、人と人をつなぐ回路だ。

アブドゥッラーの肩に手を置いたとき、私の内臓までが揺れるような共鳴を感じた。
それが経絡。
人の声にならない奥の声を受け取る導管。


7. 翌朝の変化|自分の身体が整った理由

翌朝、私は自分の背中が開いているのを感じた。
そして、夜中にずっと夢の中で彼と会話していた。

目が覚めた時、身体が軽く、呼吸が深く、頭が澄み渡っていた。

「治した」わけではない。
祈りを共にしたことが整いになった。


8. 中東の人々と身体の関係性

8-1. 礼拝姿勢は身体の原点

  • 正座(膝立ち)→前屈→額を床につける

  • 背筋が伸び、内臓が圧され、骨盤が整う

彼らの身体には、1日5回のリセットボタンがある。

治療せずとも、整える文化が生活にある。


8-2. アザーンの響きと脳波

アザーン(礼拝呼びかけ)の音を聞いた瞬間、脳が一気にα波へとシフトした。
神経が緩み、筋肉が脱力し、体内の力みが抜ける。

音の治療。
声の整え。
それは、サウジの街全体に満ちていた。


9. 鍼灸師としての整う旅まとめ

整った瞬間 きっかけ
肩の力が抜けた アブドゥッラーの呼吸に合わせた時
自律神経が整った アザーンを聴きながら静止した時間
背中が開いた 星を見ながら深呼吸した夜
内臓が軽くなった ラクダ肉とデーツの食事
頭が空っぽになった 砂漠で何も考えなかった午後

10. まとめ|治すのではなく、祈るように触れる

私たちは、治療者である前に、対話者である。
手を添えること。呼吸を合わせること。相手の沈黙を尊ぶこと。
それこそが、本当の整えなのかもしれない。

アブドゥッラーの言葉が、今も心に残っている。

「身体は、声を持たない神の使者だ。
あなたはそれを聴ける人だ。」

そう言われた私は、また一歩、
「旅する鍼灸師」としての旅を深めていくことになった。

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