目次
1. 「治療する旅」から「対話する旅」へ
私は鍼灸師として旅をしている。
人を治すために、世界を巡っている──つもりだった。
けれど、サウジアラビアでのある出会いが、私のその思いをまるごとひっくり返してくれた。
「治す」という言葉の裏にあった、自分の傲慢さと向き合うことになるとは思ってもみなかった。
この国で私は、身体の整えとは「対話」だと気づいた。

2. 出会い|巡礼者アブドゥッラーとの沈黙
それは、マディーナのモスク前広場だった。
夕暮れの祈りの後、私はモスクの外で静かに座っていた。
ふと隣に、ひとりの年配男性が腰を下ろした。
彼は何も言わず、ただ私の足元をちらりと見て──微笑んだ。
私はとっさに「アッサラーム・アライクム」と挨拶をした。
彼も同じように応じ、
それから、20分近く、私たちは何も話さずに座っていた。

3. 初めての身体への問い
やがて彼がポツリと聞いてきた。
「あなた、鍼をするのか?」
私は驚いた。何も話していないのに──
「Yes, I’m an acupuncturist.」と答えると、彼は静かに左肩を押さえて言った。
「メッカを歩いた後から、ここがずっと痛む。」
4. 私は治療をしなかった
ベンチの上、彼の肩に手を置いてみた。
熱も腫れもない。けれど、流れが止まっている。
日本でなら、脈を診て、経絡を読み、ツボを選び、鍼を打つ。
けれどここはマディーナ。
モスクの前。しかも彼は巡礼中の男。
私は一切、鍼も押圧もしなかった。
ただ、彼の呼吸に合わせて、私の手を置いていた。
5. 沈黙の中で身体が整っていく
やがて彼の肩がゆっくりと下がり、胸が開き、呼吸が深くなっていくのが伝わってきた。
私はその時、鍼灸とは「手」でも「針」でもない。
観ることこそが治療なのだと確信した。
彼は最後に一言だけこう言った。
「私の祈りは、あなたに届いていたようだ。」
6. 治療ではなく対話としての東洋医学
6-1. 治療家の傲慢と、旅人の謙虚
これまで私は「治す」「改善させる」「効かせる」ことばかり考えていた。
でも、アブドゥッラーとの出会いで分かった。
治療とは、相手の祈りを受け取る場でもある。
治療家である前に、人間であれ。
旅人である前に、聴く者であれ。
その姿勢がなければ、手技はただの技術に過ぎない。
6-2. 経絡は「他者との接点」
東洋医学で言う「経絡」とは、単なる気血の流れではない。
それは、人と人をつなぐ回路だ。
アブドゥッラーの肩に手を置いたとき、私の内臓までが揺れるような共鳴を感じた。
それが経絡。
人の声にならない奥の声を受け取る導管。
7. 翌朝の変化|自分の身体が整った理由
翌朝、私は自分の背中が開いているのを感じた。
そして、夜中にずっと夢の中で彼と会話していた。
目が覚めた時、身体が軽く、呼吸が深く、頭が澄み渡っていた。
「治した」わけではない。
祈りを共にしたことが整いになった。
8. 中東の人々と身体の関係性
8-1. 礼拝姿勢は身体の原点
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正座(膝立ち)→前屈→額を床につける
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背筋が伸び、内臓が圧され、骨盤が整う
彼らの身体には、1日5回のリセットボタンがある。
治療せずとも、整える文化が生活にある。
8-2. アザーンの響きと脳波
アザーン(礼拝呼びかけ)の音を聞いた瞬間、脳が一気にα波へとシフトした。
神経が緩み、筋肉が脱力し、体内の力みが抜ける。
音の治療。
声の整え。
それは、サウジの街全体に満ちていた。

9. 鍼灸師としての整う旅まとめ
| 整った瞬間 | きっかけ |
|---|---|
| 肩の力が抜けた | アブドゥッラーの呼吸に合わせた時 |
| 自律神経が整った | アザーンを聴きながら静止した時間 |
| 背中が開いた | 星を見ながら深呼吸した夜 |
| 内臓が軽くなった | ラクダ肉とデーツの食事 |
| 頭が空っぽになった | 砂漠で何も考えなかった午後 |
10. まとめ|治すのではなく、祈るように触れる
私たちは、治療者である前に、対話者である。
手を添えること。呼吸を合わせること。相手の沈黙を尊ぶこと。
それこそが、本当の整えなのかもしれない。
アブドゥッラーの言葉が、今も心に残っている。
「身体は、声を持たない神の使者だ。
あなたはそれを聴ける人だ。」
そう言われた私は、また一歩、
「旅する鍼灸師」としての旅を深めていくことになった。